多分、政治的なもの。その2-1 ”人間とファティマとに横たわる「予定調和」。”(2015)


 最初に。
 こんなことをふと思いついたのは、実は3159年のアマテラスの大侵攻という世界を破壊の渦に巻き込む事態にあたり登場してくるアドラーの新興国・・・ディ・ヨーグン統一連邦とダスニカ神聖連合がどうしてこの時期に勢力を持ち台頭してくるのか考え、DESIGNS2の設定画を見ながら、はてさてと気になったことだったりします。
 この2カ国のどちらか、あるいは両方でも良いのだけど(ウモス国家社会主義共和国ともどちらかは絡んでいるのかもしれない)はどういう背景で発展してきたのだろうか?と。
その時へっぽこ頭に浮かんだことと、とこれから書くことはまるで結びつかないかもしれないけれども、それでも3159年の大侵攻について考えているうちにふっと出てきたこととして、ちょっと頭の隅においてもらえればと思います。

 将来こんなことがファイブスター物語にあるのではないかという思いをベースにつらつら書いていますが、私は勿論ただの小さなへっぽこですからw外れている可能性がかなり高いでしょう。。
 しかも、そのとある一つの予想にたどり着くまでには大いなる迷い道のようなものにご一緒して頂かなくてはならないかもしれないのですが・・・
 「阿呆!そんなものに付き合ってられるか!」と怒られそうでもありますが、どうか画面の向こうで苦笑いしつつ、ひょっとしたらどこかでそういうこともあるよね。とだけ思って頂ければへっぽことしては幸いです。

1 人間とファティマとに横たわる「予定調和」。

ファイブスター物語に登場してくる人造人間の少女たち・・・ファティマには大変優れた能力がある。
 カプセルの中で育んだずば抜けた頭脳に、どんな機械ですら敵わなそうな演算能力が予め備わり、騎士が持つ驚異の身体能力の一部を誕生した時から確実に得ている。
 そんな”はじめからハイパーな存在”である彼女たちに科学者は、より高度な性能を求めつつ、自身が生存する方法にかなりの制御を施し世に送り出す。
 ”不確実で僅かな誕生確率でしか出現しない”騎士だけが支配する事が出来る生きた兵器。
 彼女達は仕える主人を選ぶことだけが唯一の選択肢として持っているが、それは自由であれども失敗も伴いかねない。
 いきなり人間の世界に放り出され、大勢の騎士を前にして自分にふさわしい主人を選ばなくてはならない。時間もなければ審美眼も相当要求される。
 それでも精一杯の選択をしてパートナーとした騎士のもとで働き、そうしないと生きられないからと彼らの命令をすべて聞き、騎士の仕事・・・主として戦争をサポートし人と争い殺すことが役割として存在する。
 それがファティマの仕事であり、彼女たちが生きる唯一の術・・・なのだろうか。

 そんなことを時折考えながら漫画や設定資料集を読んでいたり、日常を過ごしていると・・・
 こうしてファイブスター物語についてのブログを書いたり下手な絵を描いていたり、あるいは同じFSSファンとと面と向かって話したりSNSで触れていたりする事もそういった行為になるだろう。
 私の日常をFSSが大きく支えつつあるこの数年、ファティマに対する疑問はさらに膨らんでくる。
 私はこの年になり思うのだ。
 大変不自由な境遇のファティマたちは物語でもそのようなルートを辿っているように見えるのだけども、実は人間だって、ひとつの選択ややり過ごしが、結論として同じような狭きルートを辿る人生を歩むことになりかねないのではないのか、と。
 「予定調和」はファティマにも人間にも「そうあるべきもの」として存在しているように思われる。
 しかし果たして全てのファティマと人類に予定調和は必要不可欠なものだろうか?
 ・・・と書くとあまりに抽象過ぎて、へっぽこの小さな思考は迷路に陥いる。
 だから、ファティマが抱える「予定調和」の部分を、これから具体的になるように書いていきたいと思う。

 ・・・さて、どこから取り上げたらよいだろうか。
 ある一つの疑問をとっかかりに記していこうと思う。
 単行本12巻でアイシャ・コーダンテがヨーン・バインツェルと食事を共にしてて・・・ヨーンがフルコースなのにアイシャはパスタだけ。
 ・・・でも陰でファティマ・アレクトーが「騙されてはいけません少年よ。マスターはこのあと夜食と称して親子どんぶりとギョーザ定食が待機しているんです。もちろん作るのは私」とささやいている場面だ。
 私は読んだ時ここで「アイシャ太らないか?そうでなくても非常に健康に悪くないか?」と思ったりしたのですが・・・
 最初技術的なやせ薬でもあるのかも知れないとも一瞬思ったけどもしかし、DESIGNS3の設定で、携帯食ですらバッチリ太るようなことが書いてあるし、第一「小食であることも女の武器である」事に使っているのだからそのようではないように思えたのだ。
 だとしたらアレクトーは、アイシャが美を保ちたいことも知っているくせに夜中にそんな食事などと、注意喚起したりしないのだろうかと思った時にハッとした。
「彼女たちは注意したりすることはない。それはファティマの役割ではないしアイシャも望んでいない」からだ。
 アイシャはきっと食べたいのだから自分にオーダーするだろうとアレクトーは予想していても、そう言われたら・・・きっとファティマの技能で”おいしい親子どんぶりとギョーザ定食”を作ることに精を出すと思うけれど、「そんなに食べたら太りますよ。」とは言わないのだ。
 ※アイシャがひどい言われようでもあるので付け足せば、彼女についてははあくまで全てにおいて自身で考え、したことの責任は取る姿勢を貫いているだけだと思うけども。

 こう書いていてわかるだろうか。
 ファティマは「主人の命令ならばその通りにする」のだけども「主人のためにならない事に遭遇したとしても自ら提案したりしない」のだ。
 それは両者の関係に摩擦を生む可能性があるからだ。
主従関係、しかも人間に対しては絶対従うという以上、そのルールに沿って動いたほうが、お互いの受けるストレスは実は少ない。
 この辺りはファティマ町が語っている通りだ。
 マスターとなったひとの命令はいくらでも聞くよ。でもそれだけだよ。人が言うことを黙ってこなすことでファティマは、もしも苦しかったとしてもそういう運命として受け入れるしかないから。
 逆を言えばファティマ達に主従関係以上のことを求めようとするのは余計なストレスを抱えるから、例えそれが彼女たちに対する心配だったとしても余計なお世話だと、町は述べている。
 ※だけど町はそんなこと言いつつ泣いてしまっていたりするので余計ややこしいけれども・・・バーバリュース・Vがそれだけお仕えして立派な主人だったということで良いのかな、この場合。

 戦闘の手段一つとっても、自分は善かれと思って進んでした事が余計なことと責められ何人もの主人から解除され、ストレスをため込んでしまいかなり不安定になっていたファティマ・京が物語として描かれているくらいだ。
 騎士はその身体能力だけはファティマ以上だけれども彼らはあくまで人間だ。
 恐らく私達とも共通であり、正直な話ファティマ達ほど、賢さは備えていない者がほとんどだろう。
 そんな差異を持ち合わせている、人間とファティマが一緒に日常を過ごしていたら、聡明で優秀な彼女たちはそのあちこちで主人の行動や選択に疑問を抱きそうになることもあるかもしれない。
 しかし例え、主人に対して何かに気がついたとしても、自分が生きていくため、即ち主従関係を懸命に保つため、主人の生命にかかわること以外はスルーされていくだろう。
いや、例えどちらか、あるいは両方の生命に関わる事態になったとしても、主人の要求を伴うものであったなら、それは受け入れなければならないかも知れないのだ。

 その要求、あるいはリクエストがどんなに理不尽なものであっても・・・例え健康的でない料理を主人に提供したとしても、あるいはオキストロのように性交渉やストリップを求められたとしても、「その要求に逆らったりこっそりかわそうとして主人の機嫌や関係を損ねる」よりもその場限りで済むものであり、実はそうやり過ごしたりすることでファティマにも時には目先のメリット(主人との信頼構築やもたらされる快楽やら色々だろう)があるからだ。
 勿論この書き方はあまり好ましいものではないし、恐らく騎士とファティマの関係の違いとしてはそのパートナーシップの数だけある筈だ。
 ファティマ達も自身や、パートナーの性格によっては、・・・たとえば親子どんぶりの器をこっそり小さくしたりするような気の回し方をするかもしれないけれども、「それがばれても許される性格の騎士である」と長い時間接してみて確信的予想ができるようになる事が条件であり、また何より「カロリーが高いから、健康に良くないから」などと言って止めさせるようなことはしないのが主従関係なのだと思う。

 だがファティマ達は、私がした超適当な理由付けなどよりも遥かに高度で説得力を持つ説明で親子どんぶりを提供するのをやめさせるだけのスキルが実は存在しているはずなのだ。
 その普通の人が持ちえない優れた能力を備えながら、騎士との主従関係を保つ事が最優先であり、ファティマはその素晴らしい才覚を戦闘とそれに伴った行動でのみにしか、事実上活躍の場がない。
 あとは人間の要求の上にあり、せいぜいそのリクエストを最上に整える位のことしか成し得ないのだ。
 それが「ファティマの予定調和」なのかもしれない。

 …そういう世の流れがFSSにおいての原則だと考えつつ、これをベースにしたならば、読まれた方は幾つか疑問に思わないだろうか、特に女性。
 「そんな、”自分の言うことしか聞かない存在”しか欲しがらない男性なんて、クズじゃん!!こちらから願い下げよ!」と。(これは男女なく同じようにそう言えるのだけども、ファティマは圧倒的に女性型が多いのであえてそう記してみた。)
 あらゆる人間関係はその時々で摩擦をもたらす。
 しかしそのやりとりは勿論時には苦痛も生み出すけれども、その摺り合わせこそが人間にとって大事な要素であり、「そこで生まれた喜怒哀楽や多種多様な関係の構築、あるいは相手からもたらされる学びやお互いの合意」は人に生きる喜びと活力を与え、なし得る営みではないのだろうか。
 しかしそれが人間とファティマの関係となると、「ファティマの予定調和」がベースにある以上、基本的にはそのような事にはならないだろう。
 それは人間が彼女たちを支配しているからだとはいえ、命令し受け入れるばかりで摩擦を避ける関係はあまりに一方通行である。

 そしてこの章最後に。
 「ファティマは不浄で非常識なものである」とバルター・ヒュードラー博士は切り捨てているが、私は彼女を全面的に支持している。
 強力だがどうしてこんな訳の分からない兵器をジョーカー世界は生み出したのだろうか。
 兵器は正に、破壊し命を奪うだけの存在であれば良い。こんなややこしく不安定なものではない。
 しかしその不安定さが物語の面白さを生み出す大きな要素の一つだとも一方では思っているし、ファティマ達にはある一つの可能性を秘めているとも考えている。
 これはとあるへっぽこ仮説にすぎないのだけども、人間側にも明確な「予定調和」がファイブスター物語の世界には存在し、(ひょっとすると実際の私達にもあり得るのかも知れないけれども)人工生命体であるファティマたちはそこに含まれていないように思われるからだ。
 彼女たちはまず、主人である人間の人生に干渉しようとしないから。
 ファイブスター物語におけるファティマの予定調和とは異なる「人間側の予定調和」。
 それがモナーク・セイクレッドではないのだろうか。
 予め全てが決められた人生のように記録されている・・・。

 そして漫画を読んでいる皆様には私が書いてきたことにも随分一方的だとも感じなかっただろうか。
 読まれた方の違和感は、ファティマたちが生きている証左である故に起こっている、漫画における物語の数々がそうさせているのだと思う。
 そのあたりは次章に。

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